家事、30年やってます
⚫︎亭主関白の父・ “超” 潔癖症の母
関西の地方都市にて、父がサラリーマン・母は専業主婦の一般家庭に生まれる。
当時の昭和では典型的な「男は仕事・女は家庭」が当たり前の家に育つ。
あまり家にいなかった父がたまに家にいて、そして外出する時、
「いってらっしゃい」
ではなく、
「お父さん、また来てね~♪」
と言っていたそう・・・
それだけ父は家のことに無関心だったみたいです・・・
⚫︎母からのスパルタ “家事教育”
仕事を理由に何にもしない父を見かねて、子どもをこんな風にしてはダメだとのことで、4~5才の時から、母からの家事の英才教育が開始。
1年365日毎日、夕方6~7時の1時間は、家事の手伝いをする時間でした。
サボると晩ご飯抜きからの制裁…(;゚Д゚))ガクガク
雑巾がけで、もしほこりが残っていようものなら…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
そんなスパルタ家事教育でした。
・4~5才 食器や朝食準備
・6~11才 自分の分だけなら晩ご飯準備・家じゅうの掃除機・雑巾がけ
・12~14歳 自分で一人暮らしできるレベル
・15~18歳 専業主夫ができるレベル
・19~22歳 一人暮らし期 家事面での苦労はお陰様(?)で無し・・・
母いわく、「できる限りは全部仕込んだ!」とのことでご満悦…
今では、その実績を生かして清掃業者に勤めてパートリーダーとして後輩育成に打ち込んでいるとのこと。元気なオカンです…。
“仕事の鬼の血” 入ってます
⚫︎就職
家事もそこそこにできるようになり、いよいよ社会人に。
営業職として就職するも、いわゆるブラック企業でした(汗)
しかし、ここで父親の血の方の「仕事の鬼」モードが発動。
一度入ったからにはと謎の意地のみで入社から6年間、体にムチを打って毎日13~16時間くらい働いていました。
その甲斐(?)あってか、営業マンとしては十分な成績をあげられていたとは思います。
しかし、20代の体力のあるうちは良かったのですが、やっぱりこれを一生続けるのは難しいと判断し、6年間勤めた会社から転職したのが今の会社です。
当時から比べ、給与や労働時間・労働環境も安定し、どうにか今はやれています…(;’∀’)
⚫︎結婚、そして父親へ…
一社目の退職直前に付き合っていたのが、最愛の奥さんです。
退職を決意したのも、奥さんとの結婚を本気で考えていたからで、
と、一念発起。その時の奥さんは、不安な様子も不満も言わず、ただ応援をしてくれていました。
そして結婚5年目で息子を授かり、7年目の今、お腹に新しい命が☆
当時の自分に、「頑張ってて良かったな!」って胸を張れるくらい、今は本当に幸せです♪
③このブログを通して伝えたいこと
⚫︎家族ってこんなに素晴らしい
一つ目はやっぱりこれです。
生まれた家はいろいろあった僕ですが、結婚と子どもの誕生を経て、一つ目にこれが挙がります。
お互いが尊重し合って、助け合えるパートナーや、成長を見守れる子ども、家族がいることって本当に幸せなことだと思います。
もちろん、現在は様々な家族のカタチがあります。どのようなカタチであれ、自分を大切に想ってくれる人がいることは幸せなことです。
いろいろあって奥さんと出会うまで結婚には前向きではなかった僕が、同じように考えている人に少しでも何かを伝えらればと考えています。
⚫︎“仕事”も “家事” も、どっちも大事!けどバランスも考えて!
前述のように、仕事も家事もどちらも前のめりでやってきた僕の結論は、
「どちらも50点ずつでいいんじゃない?」ということです。
これをいうと、仕事や家事を頑張っている人から、
「50%のチカラしか出さないで、給料もらうつもりか!?」
「家事をバカにしてるのか!?」
と言われてしまいそうですが、そうではありません。
むしろ、両方とも、文字通り吐くほどこなしてきた自負 があるのですが、決して妥協ではなく、どうチカラの掛ける割合を見つけるか…それが大事だと考えています。
見つけた上で実践、そしてまた改善・実践してきた体験談をこのブログを通じて発信していきたいと考えています。
最後までお読みいただきありがとうございます♪